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自己肯定感の大切さ②

―スタッフより―

前回(自己肯定感の大切さ①)に引き続き、自己肯定感の低さの原因についてです。

 

②各々の家庭環境と個々の性格。

ごくごく当たり前の話にはなりますが、最近よく感じるのは幼少期の経験こそ、その人のその後の長い人生に少なからず影響を及ぼすと言うことです。

 

特に幼少期~思春期の頃に親から何気なく投げかけられたちょっとした言葉でも、子どもからしてみればグサっと刺さってしまい、大人になっても刺さったままだったりする話をよく耳にします。親から受け取った言葉ほど心の深い部分にしみ込んでいったり、知らず知らずのうちに幾重にも積み重なっていくものはないのではないでしょうか。その影響力だったり持続性みたいなものを考えると、やはり大きなものがあります。

(親は親でタイミング的にもちょうど色々なことが重なり、かなり手一杯な中での子育てであれこれ気を配るのも実質的に無理だったと言うこともあるかと思うので…何が正しい、何が悪いと言う切り口でも語れない繊細かつ難しい話なのですが…)

 

さて、一番よろしくないのはマイナスワードだと思います。

例えば「お前はいつもだめだ(このようにド直球でなくても否定的なもの)」「(他の兄弟姉妹や同級生でも)誰々は出来るのにあなたは何故できないの?(他人との比較)」などなど、幼少期に日常的にそのような態度ないし言葉のシャワーを浴びていたら、一体その子はどう育っていくのでしょうか。そのような環境で自己肯定感が育まれることは恐らく難しいでしょうし、パッと見では分からないでしょうが心の中にはどこかで歪みを持ってしまったまま成長し、大人になっていく気がします。

もちろん他人の言葉で傷つくことも往々にしてあります。

ただし特に吸収力も柔軟性も富んだ若く、その後の人生の土台(礎)、コンパスの様なものを構築していく大切な時期に、将来のロールモデルにもなる親から受け取るものを考えると…同じように“傷つく”といっても両者は全く異なるものにも見えてきます。

 

よほどの反骨精神や強い信念なり、器用にそれらを上手くかわせる術を元々持ち合わせていたら良いのですが、純粋で素直な子ほどそのような言葉をそのまま受け取ってしまい「そうか、自分はダメなんだ」と思って、成長していくのではないでしょうか。(更に子どもの頃はいろいろな意味で無抵抗かつ無防備なので、残念ながらその環境から抜け出す諸々の力も持っていないでしょう)もちろん、その人その人でタイプは全く違いますので一概には言えません。

生まれ育ってきた環境、両親やその他家族等々、それぞれのバックグラウンドは本当に……十人十色、千差万別なのであくまでも一般的な話になります。

 

最近は特に、そこの家系の癖?みたいなものが大いに関係していると感じることがあります。ある人に言わせたら“血筋”だったり、“カルマ”だったり呼び方は様々です。個人的には家系の不良債権と勝手に呼んでいます。不良債権ではなく、プラスのもの(徳だったりギフト)もたくさんありますが…。

一瞬、変な話になりかけましたが、自己肯定感の高い親からは高い子、低い親からは低い子に育つパターンがやはり圧倒的に多いかと思います。ただし、稀に前述の不良債権の返済を繰り返して自己肯定感の低い親から(最近よく聞く毒親もそうかも知れません)でも突然変異でも起きたのかと思うような肯定感の高い子が育つパターンも有り得る(その逆も然り?)と思う方をお見掛けしたのですが、これはかなりのレアケースでしょう。

 

 

また他人の目を(過度に)気にすることも一因にあげられるのではないでしょうか。

日本人は元々農耕民族だったり、はたまた島国といった地理的な条件等もあいまって、村八分の精神がこれも私を含む多くの人に無意識に刷り込まれている傾向が強いと思います。全くそうではないタイプの方ももちろんいらっしゃるので、皆が皆そうという訳ではありませんが…。

私自身が変わっているのもありますが、小学生の頃は学校に行く度に個性を伸ばさず皆を画一化させようとする…今考えたら同調圧力だったのではないかと思いますが、当時はそこにかなりの閉塞感とある種の絶望感すら感じたものでした。

 

一度きり且つ自分だけの人生なのに、

例えばいつも「はみだし者にならない様に」「普通でいなければ」「みんなと同じ様にしなければ」と本筋からそれて関係のない部分にばかり気にとられて生きていても、悲しいかな月日は着実に進んでいきます。その内、気付けばおじいちゃんおばあちゃんになって、気付けばこの世からも卒業してしまっていたともなりかねません。時間も無限ではなく有限なのは私自身、年を追うごとにつくづく感じているところです。

正直に言うと、自己肯定感が低いまま成長して、大人になっても全く構わないのですが、弊害の方が意外と多い気がしますし、もし自分の子どもを育てる時でもいざ訪れた時にこの自己肯定感の低いリレーを無意識にしてしまう可能性もはらんでいる様に思います。

 

ところで何ヶ月か前に「イグアナの娘」と言うもう何十年も前に流行ったテレビドラマをはじめて観ました。

当時リアルタイムでは観られず忘れていたのですが、あるきっかけがあり、ふとあのイグアナって何だったんだろう?と再び気になり、ネット配信で一気に観てしまいました。

内容は母娘の関係を描いた、漫画原作のドラマです。主人公の卑屈さのルーツはまさに母娘関係にあり、個人的には自己肯定感を考える際の良い教材になりました。

どうやら原作者の萩尾先生ご自身が相当母娘問題で悩んでいらっしゃったようで、作品と同じように自分のお母さんが妹ばかり可愛がったり等々、いろいろあって親との関係を見つめるためにも心理学を勉強された様です。やはり何かしらの経験や元となるものがその人の内側になければ、感動や説得力は伴わないのかも知れませんね。

 

自己肯定感は、人生を円滑に進める際に必要なアイテムの一つであるような気がします。

ナルシストになれという意味では決してありませんが、ある程度までは己を肯定でき、愛せて、はじめて人生の歯車の内の一つがうまくカチっと合いだすような気もします。

実は振り返れば、私自身が今まで何人かの方に“もっと自信をもちなよ”とよく言われてました(;^_^A

自信=つまりは“自分を信じる”作業を全くしてこなかったので、自ずと自己肯定感さえ置き去りにしてきたと目下反省しているところです。(例えアドバイスをいただけたとしても結局、自分の課題は自分にしかこなせません…)

まだまだ発展途上の身ですので、結論がまだ書けないのですが、もし何かここぞと言う場面がいつか訪れた際には、自分を信じ、自分で自分の背中を押せる(肯定出来る)ようになっていたいと思います。

スタッフ牧

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